父の誕生日から2ヶ月後であり、クラウドファンディング終了1ヶ月後である12/14に、木原信敏.comの新しいプロジェクトに向けての第一歩として、インタビューにチャレンジしてみました!
チャレンジとはいっても、私はほとんどインタビューの様子を見学させていただいたという感じです。
レトロエンタープライズの神山さんと親しくさせていただいておりまして、この方がインタビューのプロでもあり、私がサイトにアーカイヴとしてインタビューを載せていきたいとお話したところ、お忙しい中取材を引き受けてくださいました。今回はカメラのプロであるドイツの方も急遽一緒に参加してくださり、かなり贅沢なメンバーでの取材となりました。
記念すべき初インタビューは、ソニーの歴史に大変お詳しい金子金次さん。
現在は分解博士として知られている金子さんですが、元NHKの技術者からソニーに入社し、父が率いていた第二開発部と対になる第二製造部に所属した後、高輪の特別ショールーム技術担当として井深さんや盛田さんへの賓客案内をされたり、長年ソニーの歴史資料収集をされていた方でもあります。
場所は、銀座のソニービル。
ちょうど開催中のIt’s a Sony展で展示されている実物の機器を見ながら、色々お伺いしようと思ったのです。
我ながらいい案!と思いながら。
ところがですね。
金子さんや神山さんほどソニーの機器や歴史に詳しい方々をあのイベントにお連れしたのは、「釈迦に説法」のようなものであったかもと、ちょっと恥ずかしくなってしまいました。
もちろん事前に展示も見学しておき、どんな機器が置かれているかも把握していたのですが、私は素人の域を脱していないので、単純に実物の機器が歴史順に並んでいる素晴らしい企画展だと思って見ていたわけです。
でも、さすが、プロの方々に実際に見ていただくと、「これはレプリカ」「この配置はおかしい」「この機器はこれだけだと意味をなさない」「この機器よりもあの機器を置いたほうが差がはっきりする」「電源コードがゴミのように無造作に上に置かれている」「前後ろ逆に置かれている」などなど、どうしてもイベント自体の問題点に話がいきがちになってしまいました。
どれも目から鱗で、そういう話ももちろんものすごく面白かったのですが、思いもよらぬ展開で、結果趣旨がぼやけてしまい、大ミスでした。
それから当たり前といえば当たり前なのですが、イベントの機器は触れるとすぐにスタッフの方が飛んできて怒られるので、それもとても残念でした。
笑ってしまうのは、お二方とも、普段普通に触っている機器ばかりなのです。
本来だったら機器を動かしながら説明できるのに、私が展示会を会場にしてしまったために、それができなくて歯がゆそうだったのが本当に申し訳なかったです。
これだったら、例えば本物のG型の機器を、触りながら解説を伺えるような形にして、じっくり歴史や機器の動きの特徴やらを聞き、それを記録させていただく、としたほうが断然よかったなと痛感しました。
大変勉強になりました。
(皆さんからはわかってなかったの??と突っ込まれそうですが)
事前に喫茶店で打ち合わせしてからイベントに向かったのですが、その時のお話の方が趣旨に合っていた気がします。
金子さんが過去のソニー創立10周年記念誌、15周年記念誌、その他貴重な資料の数々を持ってきてくださいまして、実際に拝見しながらそれに沿ったお話をしてくださったのです。
トランジスタのサンプルを触ったり(ちなみにイベント会場にもそのサンプル置いてありました。もちろん触るの禁止)、記念誌のカタログを見ながら、当時の裏話を伺ったり。
自社製品を売るために、外国他社の類似製品の代理店になっていたとか、本当は機器がポケットにギリギリ入らないのにポケットの方をわずかに大きくして撮影し、「ちょうどポケットサイズ!」と宣伝していたなんて、戦略的ですごく面白いお話でした。
小さな町工場だった東通工がどうやって世界に通用する大企業になったのかが不思議で仕方ないのですが、その一端を垣間見た気がします。
せっかくインタビューするからには、単なる懐古的な記録ではなく、私が面白い!と感じる、そういう応用が効く成功譚をたくさん盛り込んでいきたいなと思っています。
今回のインタビュー記事が実際にサイトに載るのはしばらく先になりますが、その際にはまたお知らせいたします。
インタビューの他にも、金子さんや神山さんプロデュースの展覧会プロジェクトも発動したくなりました!
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