録音ずみのふるいテープをとりだしてみました。自宅のわたしの机のなかに、だいじにしまっていたものです。一九九六年のある日のことです。そのテープは一九六四年二月、わたしが結婚したときのお祝いの会場のようすを録音したものです。そのころのわたしは、ソニーという会社につとめていました。
三十年以上もまえのテープレコーダーで録音したものですから、いまの機械でつかえるように工夫しなければ、きくことができません。さっそく工夫してきいてみたところ、きのう録音したばかりとおもえるほど、きれいにきこえるではありませんか。三十年もまえに、わたしがつくったテープレコーダーとテープは、ほんとうにすばらしいものだったのだと、ニヤリとして自分をほめていました。
テープからは、社長だった井深大さんのお祝いのスピーチが、はっきりとながれてきました。
「木原くんがいちばん最初にてがけたおおきな仕事は、テープレコーダーのテープづくりでした。フライパンでカレー粉をいるようなかっこうをして、テープをつくっていました。
そのつぎに、ほとんど一人でテープレコーダーの機械をつくりあげました。しばらくして、いまのトランジスタテレビのもととなるテレビを、つくってくれました。
いまやってくれている仕事は、ビデオテープレコーダー(ながい名前なので、このあとからはビデオとかきます)の開発で、すでに六十台ほどは、アメリカに輸出されかつやくしております。
きょうこの会場で、みなさまが八ミリでとっておられますが、われわれの夢は、このようにかんたんな、どこの家庭でもかえるようなビデオをつくっていくことです。これを木原くんに発明してもらいたいのです。
この夢はできるだけはやく、はたしてもらいたいとおもって、毎日、木原くんの職場に、顔をださない日がないほどいっています。
木原くんは、会社にとっての金のタマゴをうむニワトリです」
ソニーという会社は、ウォークマン、CD(コンパクトディスク)、平面テレビを、世界で最初につくったことで有名だと思います。みなさんがよくしっているものでは、ゲーム機プレイステーションがあります。ソニーのグループ会社がつくっています。
わたしは一九八八年から、ソニー木原研究所という会社の社長をしていますが、この会社もソニーのグループのひとつです。プレイステーション2が、いま、怪物マシンとさわがれています。この技術を、東芝という電気製品をつくっているおおきな会社といっしょになって発明したのが、わたしの会社、ソニー木原研究所なのです。人間の表情のうごきや、衣服のこまかいゆれ、ゆれるけむりなど、ほんものとおなじように画面にあらわすことができるようになっているのです。
わたしは一九四七年にソニー(そのころの会社名は東京通信工業といっていました)にはいってから、日本ではじめてのテープレコーダー、それにつかうテープ、トランジスタラジオ、トランジスタテレビなどをつくってきました。そのなかでも、いちばんうれしかったのは、一九六五年にビデオをつくったときです。家庭でたのしむビデオとしては、世界ではじめてのものでした。いま、みなさんの家にあるビデオの元祖といっていいでしょう。
ものをつくる方法のことを技術といいます。技術は、ふるくからつたえられた方法と、あたらしい方法がいっしょになって進歩していくものです。
わたしがつくった家庭用のビデオは、CV2000という名前でよばれました。Cとは英語のコンスーマーのことで、消費者、つまりそれをつかう人という意味。VはvideoのVです。CV2000には、電気をどうしたらむだづかいしないですむか、つかうテープの量をすくなくするにはどうしたらいいかなどといったことに、あたらしいかんがえかたや工夫がたくさんありました。あたらしいかんがえかたや工夫は、特許といって、「わたしがかんがえました」と、特許庁という役所にとどけると、ほかの人はかってにつかうことができません。CV2000で、わたしはたくさんの特許をとっています。
いまのビデオは、このCV2000でかんがえられた方法をもとにして、つくられています。だから、ビデオの元祖なのです。
一九六七年、
「たいへんすばらしいものを、つくりましたね」
と、科学技術庁長官賞という、たいへんりっぱなごほうびをいただくことになりました。
ビデオでは、とてもくやしい思い出があります。もしかしたら、世界ではじめてビデオを発明した人として、わたしの名前が、歴史にのこるところだったからです。
日本でようやくテレビ放送がはじまった一九五二年ごろ、日本で最初のテープレコーダーをつくりおえたわたしは、声を録音できるのだから、テレビが録画できないことはないと考え、ビデオ(このころは、ビデオということばはありませんでした)づくりにとりかかりました。
ああしたりこうしたりと研究して、なんとかビデオらしきものをつくってみることができました。仕事場のカベに、わたしがすきだったエリザベス・テーラーの写真いりのカレンダーをかけ、ビデオカメラのピントをあわせてうつしてみました。エリザベス・テーラーは、世界の人々をファンにもつアメリカの映画スター。さて、うまく録画できたでしょうか。
なんと、エリザベス・テーラーの顔がうつったではありませんか。ただし、世界一の美女といわれた顔は、きずだらけの古い映画のようになっていましたが。でも一回目の実験としては大成功です。もう、うれしくてうれしくて、
「やったね」
というおもいで、からだじゅうがあつくなっていました。
ビデオの発明にはたくさんのおカネがかかり、ソニーだけではとてもできません。そこで通産省に補助金をだしてもらいたいとおねがいしたところ、必要性がみとめられず、残念ながらことわられてしまったのです。しかたがありません。わたしはビデオの発明をあきらめることにしました。
一九五八年、アメリカのある会社に、わたしがかんがえた方法とおなじ方法で、世界最初のビデオをつくられてしまいました。このビデオは放送局がつかうもので、家庭用ではありませんでした。
「あーあ、あのときあきらめずにつづけていたら」
と、とても残念におもったことを、いまでもわすれられません。
一九六六年、「CV2000」をもとに、世界初のかんたんにもちはこびができる、ポータブル(もちはこびできるほどちいさい、という意味)・ビデオ「ビデオ・デンスケ」をつくり、アメリカのニューヨークで発表会をすることになりました。ニューヨークでいちばん高級な町、五番街にあるソニー事務所に、たくさんの新聞記者の人たちをよびました。
デンスケってへんな名前ですが、なぜそのような名前がついたのでしょうか。一九五一年に、わたしは放送局の人が取材でつかえるようにと、もちはこびにべんりなポータブル・テープレコーダー「M-1型」をつくりました。放送局の人が「M-1型」を肩にかけ、手にマイクをもって、町をあるいている人を取材するのです。これを街頭録音といいました。人々は、この街頭録音の風景をはじめてみたものですから、たいへんなさわぎになりました。
そのころ、毎日新聞に『デンスケ』という名前の人が主人公の四コママンガが連載されていました。作者は『フクちゃん』という名作もかいた横山隆一さんというマンガ家です。主人公のデンスケが、肩にM型のテープレコーダーをかけ、手にマイクをもって取材にはしりまわるのです。これが評判になり、放送業界では、ポータブルの機械を「デンスケ」というニックネームでよぶようになったのです。
さて、発表会の話です。記者のひとたちに説明していたときです。通りの向かい側にあるソニー・ショールームの地下室から、白いけむりがモウモウとたちあがってきました。
「火事だ」
と、だれかがさけびました。そのうち消防車がサイレンをならしながらやってきて、ホースで水をかけはじめました。はしご車までやってきました。ボヤですみましたが、あたりはたいへんなさわぎ。
「どいて、どいてください」
ここはアメリカなのに、おもわず日本語でどなっていました。このとき、わたしはあつまっていた人たちをかきわけ、「ビデオ・デンスケ」をかついで道路まででていったのです。
「デンスケをしってもらうには、いいチャンスだぞ」
と、わたしは夢中になって、消防隊のかつやくをビデオにとったのです。
すぐに、記者の人たちにその録画をみせました。「どんなもんだい」という気持ちでした。
「すごい、しんじられない」
「いま、そこでおきたことがみられるなんて」
記者の人たちはとてもおどろいていました。つぎの日の、『ニューヨーク・タイムズ』という新聞の朝刊に、「火事で効果満点の製品紹介」という題で、「ビデオ・デンスケ」が、ニューヨークの新聞記者をおどろかせたという記事がのりました。
一九八二年、びっくりするニュースがとびこんできました。わたしが、電気電子界のノーベル賞といわれる、デビッド・サーノフ賞をいただけることになりました。これはたいへんに名誉なことなのです。
その二年まえに、わたしは超小型のカメラとビデオがいっしょになった「ビデオムービー」をつくっていました。
つぎの年には、フィルムのいらない、そして、カシャッというシャッター音がしないカメラをつくりました。このカメラは「マビカ」という名前がつけられました。ある週刊誌は、「まったくビックリするカメラが登場した」という記事をのせていました。
いずれも世界ではじめてのものでした。そんなときの名誉ある賞です。
「いままでやってきたことが、世界の人にみとめられたんだ」
と、たいへんしあわせな気持ちになりました。
賞をいただくとき、外国人から、
「ソニーもりっぱな会社ですが、木原さん、あなたもすごい方ですね。まるでエジソンにそっくりですよ」
といわれました。
じつは、科学技術庁長官賞をいただいたときから、日本のエジソンとよばれてはいたのです。エジソンは発明王です。
エジソンはレコードから音を出す蓄音機、そして、映画を発明していますが、その蓄音機にたいして、テープレコーダーをつくり、映画にたいして、ビデオをつくったものですから、わたしがエジソンのあとを、おいかけているようにおもわれたのです。
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