「実りの秋」
実りの秋という言葉を聞くと思い出すことがある。
秋は私にとって、数々の研究成果の実った季節であったからなのである。
社会人となって最初に全面的に任されて研究を始めたのがテープレコーダーで、それが完成をしたのが23年の秋であった。
最初はワイヤーレコーダーを作る決心をしていたところ、テープで音を出す機械がアメリカにあるという話を聞き、それではワイヤを止めてテープを作ろうという事になった。
とにかく磁石の粉を作って紙に塗ればよいだろうと、圧粉磁石のOPマグネットを乳鉢ですりつぶしたり、ベンガラを還元してみたりして実験をしたが、かんばしくなかった。
しかし幸運なことに、非常に短時日で蓚酸鉄を見出せたので、其の後の実験のピッチも早く進み、7月に始めて粉を焼いてからテープを作り上げ、音らしいものが出る様になったのが、その年の秋も深まった頃であった。
このテープを完成した秋が会社にとっても、私にとっても一つの転機であったと思う。
☆
27年の秋にも思い出がある。
立体音のテストをする様に社長から要求され、急遽ダブルトラック同時録再のテープレコーダーを作り、最初は街頭の自動車、自転車等の走る音をレシーバーで聞き、動く動くと騒いだものであった。
次に生の音楽を録音したいと思い、知人の紹介で銀座のキャバレーAワンのバンド演奏を録音した。
やはり期待どおり、広がりのある立体音で今までシングルの音楽しか聞いていなかった耳には、驚異的な音で、感激したことが忘れられない。日本で最初のステレオであった。
☆
33年秋には、音のテープレコーダーに対するテレビのレコーダーであるVTRを完成した。
記録屋にとってVTRを完成することは、一つの執念でもあったが、これを機会に小型化、ポータブル化、カラー化が急速に発展することになった。
それが家庭用VTRとして完成し、発表をしたのが39年のこれも秋であった。
桃栗3年、柿8年と言うが、テープの研究、ステレオの研究は割合早く出来たから桃栗の部類に入るが、家庭用VTRは目標を立ててから数年も掛って実ったので柿という所か……。
これからも熟して色づいたり、良い味に成長するかと思うと今後が楽しみである。
(第二特機部 部長)
今から50年以上前、木原信敏が39歳の時の投稿記事です。
父が書いた記事の中で、こういう随筆調の記事があるということを初めて知りました。
著書にも同様の内容は何度も出てきますが、「秋」をテーマに綴っている形になっているのが面白いです。
(2018/04/13 木原智美)
Be the first to comment on "電子技術-1965年12月号"