公開日 : 2018/07/23 | 更新日 : 2018/08/01

エジソンにそっくりですね

 録音ろくおんずみのふるいテープをとりだしてみました。自宅のわたしのつくえのなかに、だいじにしまっていたものです。一九九六年のある日のことです。そのテープは一九六四年二月、わたしが結婚したときのおいわいの会場かいじょうのようすを録音したものです。そのころのわたしは、ソニーという会社につとめていました。

 三十年以上もまえのテープレコーダーで録音したものですから、いまの機械きかいでつかえるように工夫くふうしなければ、きくことができません。さっそく工夫してきいてみたところ、きのう録音したばかりとおもえるほど、きれいにきこえるではありませんか。三十年もまえに、わたしがつくったテープレコーダーとテープは、ほんとうにすばらしいものだったのだと、ニヤリとして自分じぶんをほめていました。

 テープからは、社長しゃちょうだった井深大いぶかまさるさんのお祝いのスピーチが、はっきりとながれてきました。

木原きはらくんがいちばん最初さいしょにてがけたおおきな仕事しごとは、テープレコーダーのテープづくりでした。フライパンでカレーをいるようなかっこうをして、テープをつくっていました。

 そのつぎに、ほとんど一人でテープレコーダーの機械をつくりあげました。しばらくして、いまのトランジスタテレビのもととなるテレビを、つくってくれました。

 いまやってくれている仕事は、ビデオテープレコーダー(ながい名前なので、このあとからはビデオとかきます)の開発かいはつで、すでに六十台ほどは、アメリカに輸出ゆしゅつされかつやくしております。

 きょうこの会場かいじょうで、みなさまが八ミリでとっておられますが、われわれのゆめは、このようにかんたんな、どこの家庭かていでもかえるようなビデオをつくっていくことです。これを木原くんに発明してもらいたいのです。

 この夢はできるだけはやく、はたしてもらいたいとおもって、毎日、木原くんの職場しょくばに、かおをださない日がないほどいっています。

 木原くんは、会社にとってのきんのタマゴをうむニワトリです」

 ソニーという会社は、ウォークマン、CDシーディー(コンパクトディスク)、平面へいめんテレビを、世界せかいで最初につくったことで有名ゆうめいだと思います。みなさんがよくしっているものでは、ゲーム機プレイステーションがあります。ソニーのグループ会社がつくっています。

 わたしは一九八八年から、ソニー木原研究所けんきゅうじょという会社の社長をしていますが、この会社もソニーのグループのひとつです。プレイステーション2が、いま、怪物マシンとさわがれています。この技術ぎじゅつを、東芝とうしばという電気製品をつくっているおおきな会社といっしょになって発明したのが、わたしの会社、ソニー木原研究所なのです。人間の表情のうごきや、衣服のこまかいゆれ、ゆれるけむりなど、ほんものとおなじように画面がめんにあらわすことができるようになっているのです。

 わたしは一九四七年にソニー(そのころの会社名は東京通信工業とうきょうつうしんこうぎょうといっていました)にはいってから、日本ではじめてのテープレコーダー、それにつかうテープ、トランジスタラジオ、トランジスタテレビなどをつくってきました。そのなかでも、いちばんうれしかったのは、一九六五年にビデオをつくったときです。家庭かていでたのしむビデオとしては、世界ではじめてのものでした。いま、みなさんの家にあるビデオの元祖がんそといっていいでしょう。

 ものをつくる方法のことを技術といいます。技術は、ふるくからつたえられた方法ほうほうと、あたらしい方法がいっしょになって進歩しんぽしていくものです。

 わたしがつくった家庭用のビデオは、CV2000という名前なまえでよばれました。Cとは英語えいごのコンスーマーのことで、消費者しょうひしゃ、つまりそれをつかう人という意味いみ。VはvideoビデオのVです。CV2000には、でん気をどうしたらむだづかいしないですむか、つかうテープのりょうをすくなくするにはどうしたらいいかなどといったことに、あたらしいかんがえかたや工夫がたくさんありました。あたらしいかんがえかたや工夫は、特許とっきょといって、「わたしがかんがえました」と、特許庁とっきょちょうという役所やくしょにとどけると、ほかの人はかってにつかうことができません。CV2000で、わたしはたくさんの特許をとっています。

 いまのビデオは、このCV2000でかんがえられた方法をもとにして、つくられています。だから、ビデオの元祖なのです。

 一九六七年、

 「たいへんすばらしいものを、つくりましたね」

 と、科学技術庁長官賞かがくぎじゅつちょうちょうかんしょうという、たいへんりっぱなごほうびをいただくことになりました。

 ビデオでは、とてもくやしいおもがあります。もしかしたら、世界ではじめてビデオを発明した人として、わたしの名前が、歴史れきしにのこるところだったからです。

 日本でようやくテレビ放送ほうそうがはじまった一九五二年ごろ、日本で最初のテープレコーダーをつくりおえたわたしは、声を録音できるのだから、テレビが録画ろくができないことはないと考え、ビデオ(このころは、ビデオということばはありませんでした)づくりにとりかかりました。

 ああしたりこうしたりと研究して、なんとかビデオらしきものをつくってみることができました。仕事場しごとばのカベに、わたしがすきだったエリザベス・テーラーの写真しゃしんいりのカレンダーをかけ、ビデオカメラのピントをあわせてうつしてみました。エリザベス・テーラーは、世界の人々をファンにもつアメリカの映画えいがスター。さて、うまく録画できたでしょうか。

 なんと、エリザベス・テーラーの顔がうつったではありませんか。ただし、世界一の美女びじょといわれた顔は、きずだらけの古い映画のようになっていましたが。でも一回目の実験じっけんとしては大成功だいせいこうです。もう、うれしくてうれしくて、

 「やったね」

 というおもいで、からだじゅうがあつくなっていました。

 ビデオの発明にはたくさんのおカネがかかり、ソニーだけではとてもできません。そこで通産省つうさんしょう補助金ほじょきんをだしてもらいたいとおねがいしたところ、必要性ひつようせいがみとめられず、残念ざんねんながらことわられてしまったのです。しかたがありません。わたしはビデオの発明をあきらめることにしました。

 一九五八年、アメリカのある会社に、わたしがかんがえた方法とおなじ方法で、世界最初のビデオをつくられてしまいました。このビデオは放送局ほうそうきょくがつかうもので、家庭用ではありませんでした。

 「あーあ、あのときあきらめずにつづけていたら」

 と、とても残念におもったことを、いまでもわすれられません。

 一九六六年、「CV2000」をもとに、世界初のかんたんにもちはこびができる、ポータブル(もちはこびできるほどちいさい、という意味)・ビデオ「ビデオ・デンスケ」をつくり、アメリカのニューヨークで発表会はっぴょうかいをすることになりました。ニューヨークでいちばん高級こうきゅうまち五番街ごばんがいにあるソニー事務所じむしょに、たくさんの新聞記者しんぶんきしゃの人たちをよびました。

 デンスケってへんな名前ですが、なぜそのような名前がついたのでしょうか。一九五一年に、わたしは放送局の人が取材しゅざいでつかえるようにと、もちはこびにべんりなポータブル・テープレコーダー「M-1がた」をつくりました。放送局の人が「M-1型」をかたにかけ、にマイクをもって、町をあるいている人を取材するのです。これを街頭録音がいとうろくおんといいました。人々ひとびとは、この街頭録音の風景ふうけいをはじめてみたものですから、たいへんなさわぎになりました。

 そのころ、毎日まいにち新聞に『デンスケ』という名前の人が主人公しゅじんこうの四コママンガが連載れんさいされていました。作者さくしゃは『フクちゃん』という名作めいさくもかいた横山隆一よこやまりゅういちさんというマンガ家です。主人公のデンスケが、肩にM型のテープレコーダーをかけ、手にマイクをもって取材にはしりまわるのです。これが評判ひょうばんになり、放送業界では、ポータブルの機械を「デンスケ」というニックネームでよぶようになったのです。

 さて、発表会の話です。記者のひとたちに説明せつめいしていたときです。通りのかいがわにあるソニー・ショールームの地下室ちかしつから、しろいけむりがモウモウとたちあがってきました。

 「火事かじだ」

 と、だれかがさけびました。そのうち消防車しょうぼうしゃがサイレンをならしながらやってきて、ホースで水をかけはじめました。はしごしゃまでやってきました。ボヤですみましたが、あたりはたいへんなさわぎ。

 「どいて、どいてください」

ここはアメリカなのに、おもわず日本語にほんごでどなっていました。このとき、わたしはあつまっていた人たちをかきわけ、「ビデオ・デンスケ」をかついで道路どうろまででていったのです。

 「デンスケをしってもらうには、いいチャンスだぞ」

 と、わたしは夢中むちゅうになって、消防隊しょうぼうたいのかつやくをビデオにとったのです。

 すぐに、記者の人たちにその録画をみせました。「どんなもんだい」という気持きもちでした。

 「すごい、しんじられない」

 「いま、そこでおきたことがみられるなんて」

 記者の人たちはとてもおどろいていました。つぎの日の、『ニューヨーク・タイムズ』という新聞の朝刊ちょうかんに、「火事で効果満点こうかまんてん製品紹介せいひんしょうかい」というだいで、「ビデオ・デンスケ」が、ニューヨークの新聞記者をおどろかせたという記事きじがのりました。

 一九八二年、びっくりするニュースがとびこんできました。わたしが、電気電子界でんきでんしかいのノーベルしょうといわれる、デビッド・サーノフ賞をいただけることになりました。これはたいへんに名誉めいよなことなのです。

 その二年まえに、わたしは超小型ちょうこがたのカメラとビデオがいっしょになった「ビデオムービー」をつくっていました。

 つぎのとしには、フィルムのいらない、そして、カシャッというシャッター音がしないカメラをつくりました。このカメラは「マビカ」という名前がつけられました。ある週刊誌しゅうかんしは、「ったくックリするメラが登場とうじょうした」という記事をのせていました。

 いずれも世界ではじめてのものでした。そんなときの名誉ある賞です。

 「いままでやってきたことが、世界の人にみとめられたんだ」

 と、たいへんしあわせな気持ちになりました。

 賞をいただくとき、外国人がいこくじんから、

 「ソニーもりっぱな会社ですが、木原さん、あなたもすごい方ですね。まるでエジソンにそっくりですよ」

 といわれました。

 じつは、科学技術庁長官賞をいただいたときから、日本のエジソンとよばれてはいたのです。エジソンは発明王はつめいおうです。

 エジソンはレコードから音を出す蓄音機ちくおんき、そして、映画えいがを発明していますが、その蓄音機にたいして、テープレコーダーをつくり、映画にたいして、ビデオをつくったものですから、わたしがエジソンのあとを、おいかけているようにおもわれたのです。